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不死王閣ものがたり其の3 鮎茶屋が「不死王閣」になった日 温泉ボーリングも大成功!

  • 2012年07月28日

外観

昭和38年、「伏尾の鮎茶屋」に鉄筋コンクリート5階建ての新館が誕生。政府登録国際観光旅館の認可も受けて新たなスタートを切った。先代・夘一郎が昭和8年に始めた料亭“鮎茶屋”、その跡を継いで旅館にした二代目社長・岡本直文(現会長)の大きな夢が実現したのであった。 
 直文は考えた。「せっかく鉄筋にしたのに“鮎茶屋”ではイメージがあまりにみ小さいではないか」その時、当時・伏尾の地名の由来を思い出す。 
 時は平安末期、地元の古刹・久安寺に徳の高い和尚・賢実上人がいた。天皇より厚い信頼を賜る賢実上人は、皇后ご懐妊の折り宮中の名により安産を祈願。その甲斐あって元気な皇子(後の近衛天皇)が誕生する。以来、この地は不死王村と呼ばれるようになり、後に転じて伏尾村になったという。 
 「不死王つまり“死なない王様”とは縁起がいい。地名にまつわる縁もある。一回見たら忘れへん名前や。これでいこう」かくして不死王閣の屋号が誕生した。 
 器が大きくなれば次なる課題は、いかにお客様を呼び込むか。人々の生活には、やっと余暇が生まれレジャー熱が高まっている。不死王閣で遊んでもらえるように、温泉を掘ろう、ゴルフ場とボウリング場も作ってやろう・・・直文はまたもや壮大な構想を練る。 
 手始めは、温泉を掘ることから。「東を見ると箕面に温泉がある。西は宝塚に炭酸泉が出て三ツ矢サイダーの工場がある。うちは、この2点を結んだ延長線上やから、出そうやな・・・とね(笑)」単なる素人の思いつきにすぎなかったが、直文は自分のカンを信じた。さっそく従業員を一人、ボーリング専門の会社へ見習いに出してノウハウを学ばせ、機械を購入し昭和40年から掘削開始。 
 だが、そう簡単には温泉は出ない。1年半があっという間に過ぎた。「本当に出るのだろうか・・・」と不安を抱き始めた昭和42年のある日、旅行中だった直文の宿泊先に家から電話が入る。何事か?と思えば「出ましたーッ!」温泉噴出の知らせであった。「その夜の酒は、ほんまにうまかったなぁ(笑)」 
 直文は結局、二つの泉源を掘り当てた。これらは大阪府の泉質検査でいずれも天然ラジウム泉とわかる。温泉を引き込む大浴場の工事は、昭和45年、大阪万博開催の年に完成を見る。