昭和38年、「伏尾の鮎茶屋」に鉄筋コンクリート5階建ての新館が誕生。政府登録国際観光旅館の認可も受けて新たなスタートを切った。先代・夘一郎が昭和8年に始めた料亭“鮎茶屋”、その跡を継いで旅館にした二代目社長・岡本直文(現会長)の大きな夢が実現したのであった。
直文は考えた。「せっかく鉄筋にしたのに“鮎茶屋”ではイメージがあまりにみ小さいではないか」その時、当時・伏尾の地名の由来を思い出す。
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戦後、世の中がようやく落ち着きを取り戻した昭和25年、「伏尾の鮎茶屋」は再開を期して動き始めた。
昭和8年に創業し、お客様に鮎を釣ってもらい、それを料理する料亭として出発した鮎茶屋だったが、、釣り池は戦時中の水害などで荒れ放題。それを、初代の卯一郎、二代目であり現会長の岡本直文、弟の重一の3人でコツコツ整備した。地域の振興のためにも鮎茶屋の復興は待たれていた。それを肌で感じる直文は、新聞記者になる夢を捨てて鮎茶屋を継ごうと決意。昭和27年、明治大学卒業と同時に再建に取りかかる。
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「うちはね、昔、鮎の養殖池でお客さんに鮎を釣ってもらい、それを料理して食べさせる料亭だったんですよ」と「不死王閣」会長の岡本直文さんが語る。直文さんの父、夘一郎さんが、その養殖池を作ったのは昭和8年のこと。「鮎の養殖はたぶん、日本で初めてやったんやないでしょうか」
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